重なる低音
複数の低音パートが問いと答えのように組み合わさり、歩く身体を前へ押します。細かな刻みと歌が、その大きな波の上に乗ります。
ブラジル研究会BAND GUIDE / SAMBA-REGGAE10 BANDS SALVADOR DA BAHIA / PELOURINHO / OLODUM
BAND 06 / 10
サルヴァドールで、太鼓が黒人の誇りを鳴らした。
ブラ研で「ヘギ」と呼ぶ演奏を知るため、このページではブラジル全体のレゲエではなく、サルヴァドールのブロコ・アフロとオロドゥンが育てたサンバ・ヘギを中心に紹介します。
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Roberto Viana / AGECOM / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons
WHAT IS SAMBA-REGGAE?
1970年代、ジャマイカのレゲエはブラジル各地へ届きました。サルヴァドールでは黒人カーニバル文化、カンドンブレ、地域運動と出会い、1980年代にサンバ・ヘギという別の音へ組み替えられます。
中心となったOlodumは、1979年にMaciel–Pelourinhoの住民が、地域の人びとも尊厳をもってカーニバルへ参加できる場として始めました。単なる演奏バンドではなく、ブロコ、国際的なBanda Olodum、音楽学校、劇場、記憶施設、出版、反人種差別と人権活動を含む文化組織です。太鼓、色、衣装、歌詞は、黒人が自らのアフリカ史と現在を語る公共教育にもなりました。
Neguinho do Sambaは1980年代前半の編曲と楽器配置を大きく変え、1993年にはDidáを設立しました。Didáは、男性中心だった打楽器の場で、女性と少女が演奏者、指揮者、教育者として育つ権利を実践する団体です。1996年のMichael Jacksonとの共演は世界的な可視性を広げましたが、Olodumはそれ以前から《Faraó》やPaul Simonとの共演で国内外に活動していました。
SALVADOR / MACIEL-PELOURINHO / CURUZU
サンバ・ヘギは、バイーア州サルヴァドールの黒人地区、カーニバル、宗教、地域運動の中で育ちました。Olodumの出発点は旧市街のマシエル=ペロウリーニョです。
ペロウリーニョは植民地建築で知られる一方、その名はかつて公開の処罰に使われた柱を意味します。黒人住民の生活、立ち退き、文化運動、観光化が重なる場所で、Olodumは1979年に住民が尊厳をもってカーニバルへ参加できる団体として始まりました。
同じ市内でも、Ilê Aiyêはクリュズ/リベルダーヂ、Didáは歴史地区を拠点に、黒人の美、教育、女性の演奏参加を別々の方法で広げています。地図の印はOlodumの歴史的中心を示し、サンバ・ヘギ全体を一点に限定するものではありません。

























地図 © OpenStreetMap contributors。印は一つの代表地点であり、文化の範囲を一点に限定するものではありません。
LISTEN CLOSER
同じ大きさの太鼓が一斉に同じ型を叩くのではありません。低音の役割を分け、異なるリズムを重ね、指揮の合図で大人数の音を一つの流れにします。
複数の低音パートが問いと答えのように組み合わさり、歩く身体を前へ押します。細かな刻みと歌が、その大きな波の上に乗ります。
サンバとレゲエだけでなく、イジェシャ、サンバ・ドゥーロ、メレンゲなどの要素が交わります。一つの固定パターンではなく、団体や曲によって変わる音楽言語です。
歌い手、コーラス、太鼓、踊り、観客が路上で応答します。音量の大きさだけでなく、行進と共同参加がサンバ・ヘギの力を生みます。
ROOTS / PLACES / CHANGE
サルヴァドールの都市史、Olodum以前の黒人街路文化、サンバ・ヘギの形成、Didáと女性の権利、Michael Jacksonとの共演までをたどります。
サルヴァドールは植民地首都と大西洋奴隷貿易の港として形成されました。丘上のシダージ・アルタ、港沿いのシダージ・バイシャ、黒人地区、カンドンブレのテヘイロ、カーニバルの街路が近接する都市です。サンバ・ヘギを単なる音楽の混合ではなく、奴隷制後も続く人種的不平等の中で黒人が公共空間を作り直した歴史として読みます。

Paul R. Burley / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
Filhos de Gandhyは1949年に創設され、イジェシャー、白と青の衣装、平和のメッセージを街路へ運びました。後のブロコ・アフロと同じ種類の団体ではありませんが、アフロ・ブラジル宗教文化と行進を公に示した重要な先行例です。

Manu Dias / Fotos Gov/Ba / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons
1974年11月1日、CuruzuのテヘイロIlê Axé Jitoluを拠点にIlê Aiyêが結成され、翌年初行進しました。Black Powerの影響を受け、黒人の肌、髪、歴史、アフリカとのつながりを肯定。後続のブロコ・アフロが活動できる文化的・政治的空間を広げました。

Tatiana Azeviche / Turismo Bahia / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons
1979年4月25日、地域の友人・住民7人が、Maciel–Pelourinhoの人びとも尊厳をもってカーニバルを楽しめる場としてOlodumを創設しました。Neguinho do Sambaは創設者ではなく、後に音楽面を決定的に変えた人物です。Olodumは演奏、教育、反人種差別、人権活動を一年を通して結ぶ組織へ発展します。

Ajmcbarreto / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
Neguinho do Sambaをはじめとする演奏家たちは、太鼓の低音パート、奏法、合図を再編しました。サンバ・ドゥーロ、イジェシャー、カンドンブレのリズム、ジャマイカのレゲエ、メレンゲやサルサなどが現場で組み替えられます。Neguinhoは中心的な創造者ですが、一人でゼロから発明したとは言えません。

Arisson Marinho / AGECOM / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons
1987年、Banda Olodumの《Egito Madagascar》と《Faraó – Divindade do Egito》が全国的な突破口になりました。エジプトやアフリカ史を歌う作品は、黒人史を街路で学び直す役割も担います。1990年にはPaul Simonの《The Obvious Child》と《The Rhythm of the Saints》に参加し、Michael Jackson以前から国際活動を行っていました。
Neguinho do SambaがDidáを設立しました。当時の器楽・打楽器の場は男性が多数を占めていました。Didáは女性と少女へ無償の音楽教育を行い、歌手や踊り手だけでなく、打楽器奏者、指揮者、作曲者、教育者として舞台と組織を担う道を作りました。黒人女性の権利と自己決定を、演奏と教育で実践する活動です。
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7deAbril / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
Spike Lee監督のMichael Jackson《They Don’t Care About Us》ブラジル版映像は、PelourinhoとリオのMorro Santa Martaで撮影されました。Olodumが演奏するのはサルヴァドール側です。抗議歌とサンバ・ヘギの共演は世界的な可視性を高めましたが、Michael JacksonがOlodumを「発見した」のではありません。
2018年、Olodumはバイーア州の無形文化遺産として認定されました。現在もOlodum、Ilê Aiyê、Didáはカーニバル出演だけでなく、音楽教育、出版、記憶の保存、反人種差別、黒人女性の育成を続けています。サンバ・ヘギは祝祭の日だけの音楽ではありません。
KEY FIGURES / GROUPS
名前だけを覚えるのではなく、どの時代・土地・現場で、その音を変えたのかまで紹介します。
オロドゥン
1979年、Pelourinho/Macielで創設されたbloco afro。Carnaval出演だけでなく、反人種差別、教育、人権活動を通年で行い、samba-reggaeを黒人の歴史と現在を語る公共的な音へ育てました。
ネギーニョ・ド・サンバ
1980年代前半にOlodumの打楽器編成と合図を大きく変え、samba-reggaeの形成を決定づけたmestre。単独の「発明者」と断定するより、複数のblocoの実践を組織した革新者として位置づけます。
イレ・アイエ
1974年にLiberdade/Curuzuで創設。黒人の美、アフリカ史、誇りを前面に出した先行bloco afroで、Olodum以前からCarnavalを黒人運動の舞台へ変えました。samba-reggaeの背景を理解する起点です。
ヂダー
Neguinho do Sambaが1993年に設立した女性中心の音楽教育団体・バンド。男性が多数を占めた打楽器の場で、黒人女性と少女を奏者、指揮者、作曲者、教育者として育て、権利を実践しました。
ジェロニモ・サンタナ
Salvadorの歌手・作曲家。《É d’Oxum》《Eu Sou Negão》などで、Candomblé、街路、黒人の自己宣言をポップな歌へ接続しました。samba-reggaeの「父」を一人に絞れない複数の創造現場を示します。
バンダ・ヘフレクスス/マルガレッチ・メネゼス
Banda Reflexusは《Madagáscar Olodum》などをラジオへ、Margareth Menezesは《Faraó》《Elegibô》を国際舞台へ運びました。blocoの曲がレコード産業と女性歌手の声を通じて広がった経路を示します。
SONGS TO START
Ilê AiyêとOlodumの黒人文化運動、Didáの女性奏者、世界的な共演までを順に聴く7曲です。Michael Jacksonの曲は、Olodumが参加した公式ブラジル版映像も併せて見ると背景が伝わります。
Ilê Aiyê
Paulinho do RecoとCuiúba作。夜の「黒さ」を恐怖ではなく美と連帯へ反転し、bloco afroの美学が全国へ届く過程を示します。
曲を聴く →Luciano Gomes / Olodum
古代エジプトをアフリカ文明の誇りとして読み替え、Olodumの打楽器と声で録音史の転機になりました。神話と黒人自己肯定が同じサビに重なります。
曲を聴く →Rey Zulu / Olodum
Madagascarの王国史をCarnavalのテーマへ変え、Banda Reflexusの録音でも全国化しました。アフリカを奴隷制だけで語らないbloco afroの教育的志向を示す作品です。
曲を聴く →Domingos Sérgio / José Olissan / Olodum
黒人住民の怒り、貧困、権利要求を祝祭のサビへ変え、「踊れる音=非政治的」という見方を崩します。Olodumの反人種差別運動を音から理解する重要曲です。
曲を聴く →Paul Simon / percussion by Olodum
Paul SimonがPelourinhoでOlodumの打楽器隊と録音。samba-reggaeが世界へ届いた象徴である一方、米国スターの作品として流通した共演でもあります。成果と権力差を併せて聴きます。
曲を聴く →Didá Banda Feminina
デビュー作《A Mulher Gera o Mundo》収録。女性だけの打楽器隊が自らの名とSalvadorを宣言し、女性を踊り手としてだけでなく、奏者・指導者・創作者として聴かせます。
曲を聴く →Michael Jackson / Brazil video with Olodum
Spike Lee監督のブラジル版映像はPelourinhoとMorro Santa Martaで撮影され、OlodumはSalvador場面に参加しました。世界的可視化と、貧困地域を誰が映すかという政治性を同時に考えます。
曲を聴く →BEYOND THE SHORTCUT
入口の説明だけで文化を単純化しないために、次の点を押さえておきます。
Olodumは「ブラジルのレゲエ・バンド」ではなく、サルヴァドールのブロコ・アフロ/文化団体です。
サンバ・ヘギはジャマイカのレゲエそのものでも、「サンバ+レゲエ」だけの単純な足し算でもありません。
ネギーニョ・ド・サンバはOlodumの創設者ではありません。また、中心的革新者ではあっても、音楽を一人だけで発明したとは断定できません。
アフォシェのFilhos de Gandhyと、ブロコ・アフロのIlê Aiyê/Olodumは同じ種類の団体ではありません。
ブラジルのレゲエはサルヴァドールだけではありません。バイーアのEdson Gomesや、サン・ルイスのradiola文化には、それぞれ別の歴史があります。
AT TUFS BRASIL KENKYUKAI
ブラ研のヘギでは、Olodumの演奏を重要な参照点として、複数の低音パート、細かな刻み、歌とコーラスを重ねます。ジャマイカのレゲエをそのまま再現するのではなく、サルヴァドールで生まれたサンバ・ヘギの街路性と応答を大切にしています。
FACT CHECK
歴史、人物、文化的背景は、ブラジルの公的文化機関、研究機関、専門資料を中心に照合しました。